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ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

拍車をかけた人たち

こんにちは♪

昨日は、雨が降ったり止んだりの一日でした。

雷が鳴って雨足が強くなった頃
自転車で習いに来る生徒がいたので、どうしたものか心配でした。休みにしていいのだけれど、時間も迫っていてもう、家を出ているはず。すると、保護者の方から連絡が来て、おそらく電車で向かっているはず、帰りは迎えに行きます。というのです。
この大雨の中電車と徒歩で来るというのか!?
慌てて、タオルを用意しながら
あぁ、こんな時渡せる様に新しい靴下やTシャツくらい用意があればよかったなぁ💦
びしょ濡れで来るんだろうなぁ。なんて心配していた所に、ピンポーン♪生徒到着。

「なにでここまで来た?」

👧「電車と歩きです」

「!!!大変だったでしょう!?」

👧「いや…」

「濡れたでしょう?タオル使っていいからね!」

👧「はい、、」


?え、?全然濡れてない。
さらっとした顔で落ち着いている生徒と
九州から飛行機でよくぞここまで悪天候の中帰省してきてくれたばりの歓迎ムードの私の温度差よ。


あぁ、でも
子どもの頃ってこうだったか…。

雨が降ろうが、雪が降ろうが毎日歩いて学校へ行くのが当たり前だったし、習い事へも、雨だから行きたくないな、休みにならないかな?なんて1ミリも考えたことってなかったな。


一生懸命練習したんだろうなと分かる練習曲の演奏を聴かせてくれて、取り組み中の曲も進んだし、間違いの修正もできた。

もう、30分前に降り出す時間が早かったら
間違いなく「今日は休みにしていい」と連絡していたと思うと、過保護な親心も考え直さないといけないな、と思いました。

もちろん、休みにする判断も必要だけれど。



私は、子どもの頃
不機嫌で怖いピアノの先生に教わっていたトラウマがあるので、あんな思いはさせたくないと
思っていて、その後の先生たちからも、圧をかけられたり、捉えようによっては心無い言葉をかけられてきたので、同じことを私はしたくないな、と思うところがあって、じゃあ結果どうなるのかというと、ガッツのある子が出てこない。


何度も同じことを言わせてしまう自分に嫌気がさして猛烈に練習したり、何気ないひと言や
さらっと弾いて待ってくれない先生の演奏を前にして、来週は言わせない!来週はついて行ってみせる!🔥というメラメラが起きないんですよね。

だって、私が着火剤投下してないから。



誰かが、こんなことを言っていました。


「コミュニケーションをとる、生きていくというのは人を傷つけることだ。」

「傷つけない」がいいのなら、何も言わず
何もやらないのが一番。

何か新しいことを考える・表現する・伝える・作りだすというのは、誰かを否定、意図せず傷つけるということを避けては通れない。

傷つけてしまうことそのものを問題にして、それを避けなければならない、避けなければならないと言っていると、切り拓けたはずのフロンティアが切り拓けない。考えられたはずのことが考えられない。思考停止に陥ってしまう。
だから、自分の中に昭和の厳しさを作り出せないかと思っている。




この話を聞いて、あぁその通りですね…。と
思った私。


私が好きなことが、上達した影には
ちょっとイカれた人がいたからでした。


中学生の時の家庭科の先生、フセ先生。
フセちゃんと呼ばれて親しまれていた先生は、
常にザマス系の敬語で話していてそれがおかしくて皆んなは笑ったり馬鹿にしたりしていたのだけれど、ザマス敬語を使いながら、生徒に求める技術の高さがえげつなく高いものでした。
中学時代の私でも、「それば大学で先生が求められていたレベルの高さでしょう?」と分かるほどでした。でも、そうであるべき理由をキチンと話してくれたので、私は納得をして仕上げる努力をしたし、今も針と糸を前にすると目の前にフセちゃんが現れます。



ピアノを教えてくれた人たちも
今まで携わってきたさまざまな仕事先にいた
みんな求めるレベルがイカれているのに、当然の様にさらっと
「こうやるのよ、はい、やってみ。」
そんなこと言う人ほど、誰もが出来て当然と
思っているから、出来ない人にかける言葉が容赦なくて。



生まれつき、やったろうじゃないか!と
思うガッツのある私だったわけではなく
だけど、どうしてそんなイカれた人たちになんとかくらいついていけたかというと、多分
両親の影響なんだろうなと思います。

父は職人だったから当然何事も完璧に仕上げてなんぼの人だったし、母の手仕事もすべて美しいのに、すごいなぁ♪とワクワクそれらが出来上がる所をみているのに、「あぁ、ここがうまくいかなかった」と、反省してるし、デパートに出ている地方の民芸品コーナーなどで、心ときめかせながら見ていると、「こんなの材料あれば作れるよ。」と、父も母も言う。そんな2人を見て過ごしていたので、
何事も「こんなんじゃダメだな。」「これは作れるはずだな。」という考え方が染みついてしまったのが原因だと思っています。
そして、その通りに完璧に仕上がらないと
いや、仕上がっても反省点がある。そう、常に
思うベースがあるので、何一つ満足したものはないです。


その私を考える時、「これではまだまだだ。」
という人に対して私は傷ついているのか?
ということです。



なぜ、まだまだなのかの理由に、
なるほどね。と、思うから
私も近づきたいなと思えます。



理由を納得させられれば、伝えることで
傷つけてしまうのではないかと臆病になることはないのかな、その後どう行動するのかは
その人次第ではないかと。


あんまり人の人生にチラチラ出てくる人になりたくないんだけどね(-。-;
いやじゃないですか?
「子どもの頃散々先生に言われたなぁ」
ってピアノ弾くたび思い出させちゃうの…。
あの先生イカれてたよなぁって別に思われなくていいんですよね、そもそも。笑



練習してこなくてもヘラヘラ笑って
一緒に弾いてくれてたゆるい先生で面白かったなぁ。で、いいんですよね、そもそも。


でも、いつも同じことを言ってたなぁ
大切なことだったんだろうなぁ、どれどれ。
って、いつか大人になって答え合わせしてくれたらそれでいいかなと。



ただ、ちょっとイカれた人たちがいるおかげで
世界は広がっていきますよね。というお話でした。


こんなどうでもいい長話を最後まで読んでくれたあなたも、中々イカれた人だと思います。
(握手🤝笑)どうもありがとうございます。




「こうしちゃえば塗り絵しないでかまってくれるんじゃにゃいか?!」


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