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ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

ビニールハウス

二女とはニュースを見ながらよく話をする。


一昨日もニュースを見ながら私は泣いた。


潰れた家の中から何か使える物はないかと
家人が探しに来た映像を見て二女は言った。

「こうなったらもう何もいらないよね。」と。


そうなんだ。



こうなったらいらないならば


今もいらなくていいはずなんだ。


そのことを意識しなさすぎているんだ。



命があることがそれだけがありがたい。



それは一昨日までの感情。




夕方のニュースをつけたのも二女だった。


そこに映し出されたのは、


避難所に入れてもらえなかった人たちが
農家のビニールハウスの中で過ごしていた。

地面に作物の苗を入れるカゴを逆さにしてベッドを作り、95歳のおばぁちゃんが顔を真っ白にして毛布をかけ、目を閉じていた。
心臓の持病を持っているという。



私と二女は言葉を失った。



その後、私は話を始めた。



「自分が情けない。」

ということ。

やめたいことがある。


まず、インスタを見るのがしんどすぎる。

震災と空襲と津波が一度に起きたような被災地を思っても気持ちの変わらない人たちはそれでいいし、責める気持ちもまったくない。
でも、人として見ていて吐き気がする。
変わらずに吐き気のする価値観にいいねをしたり
メッセージを送ったりできない、したくない。

ということ。



二女も、わかる。それでいいと思う
という。

「色々と整理したいんだよね?」


そう。



「ママは、無理なの。こういう人たちがいるのに、
お皿を洗う時にお湯を使うことも耐えられない。許せないの。」




「ママってそういうところが優しいよね。
小さい時、『アフリカの子どもたちは食べられないでいるんだから残すんじゃない。』って怒られた。」




「だって そうでしょ?」



「うん。」





私は、誰がなんと言おうと
そうとしか思えない。


二女は優しいと言ったが、ただ心が痛むということ。それが、私で
そうじゃない風を装っている時の私は嫌な偽りの自分だと思う。



私は私のできることをしていくとか
悠長なことを抜かしていた自分を許せない。


避難所ではない施設で過ごしている人には食糧など支給されない。
ビニールハウスで過ごしている人たちも困っていた。

飼い犬、猫を必死になって探している人もたくさんいる。






自分を大切にすることはいいと思う。
健康でいなければ人助けも動物助けもできない。

でも、こんなことが起きている時でさえ

承認欲求モンスターになっている人を見ることが私には耐えられない。ぜひ、棺桶に入る寸前まで楽しくやってて欲しい。
 
(インスタでフォロワーさんたちに伝えるかも知れないけれど、これからはプライベートアカウントは[被災者・犬猫救助呼びかけなどの情報収集]の為と、[ただの自分の写真アルバム]としての使い方に変えます。 
フォロワーの方がこれを読んでくださっていたら、今までのお付き合いどうもありがとうございました🙏)


私はこれから

「必要なこと」を選択していきます。



私の心からビニールハウスの彼女らは消えない。