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ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

五感で残すこと

こんにちは♪

「っあぁぁぁ」
おっさんみたいな声をあげながら飲んでいるコーヒー。

あぁ、美味しい✨✨✨


朝起きたら、いきなりコーヒーを飲みたいんだけれど、胃によくないなどと言われているみたいなので、お茶の類いを一杯飲んでちょこっと朝の家事を済ませたら、コーヒーを飲んでいます。


皆さんはコーヒー、好きですか?


私は大好きです☕️


若い頃は喫茶店でマスターが丁寧に淹れてくれるコーヒーを外の景色や、歩いている人々をぼんやり見ながら飲んでいたなぁ。

煙草を吸いながら。


もう、今は吸わないけれど
昔は吸わない人の方が珍しい位みんな吸っていて
茶店=イコール、コーヒーと煙草の匂いのする場所でした。


スマホなんて無い時代、新聞や本を読んだり
煙草を吸いながらコーヒーを味わっていたものでした。


あの頃に戻ってみたいなぁって時々思います。


写真を撮るとなったら重たいカメラを持ち歩くか写るんですを買って撮り終えたらフィルムをジージー巻いて現像に出して。
普段からカメラを持ち歩くなんてないから、喫茶店のメニューをカメラにおさめるなんて一度もしたことはない。けれど、ハッキリと今でも当時の店内や、メニューを映像として思い出せます。

なのに、どうしてスマホで簡単に撮れるようになったからといっていちいち食事を撮るようになったのかなぁ?


だからというわけではないのですが、
最近、なるべく「撮らない」を選択するように
しています。


今まで撮ることが当然になっていた
あれやこれやを撮りそうになった時、一呼吸おいて、撮らないということをしてみると
面白いことに、いや、当然なのかな。
その対象物との向き合い方が変化していることに
気がつきました。

上手く言えないけれど、カメラで撮った瞬間に
五感で感じたり、記憶することを放棄してしまっている感じがします。
これは、撮ることをやめてみて気づいたことなので、撮っていた頃はそんな風に思っていませんでしたが。
そして、撮り終えた後
インスタに載せようかなぁ、ストーリーに載せようかなぁ、誰かに教えようかなぁ、あとで◯◯さんに報告しようなどと考えていたはずなんだと思うんです。


フィルムのカメラ時代から、花だけはカメラで撮っていたので、花に対しての向き合い方は変わりませんが。それは家族や友人、ペットを撮る感覚と私の中では一緒です。



ただ、撮らない方がこの記憶を大切にできるんじゃないか?と思うような小さなことや、残すことや見せることが良くない影響に繋がるような気がすることを選別するようにしました。
まだまだ途中ですが。


何もかもを残すが善で、いい影響しか残さないとは思えなくなってきたということです。
当然のことなのでしょうが。






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