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ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

批評家の銅像

今晩は
深夜の飼い主の完全なる呟きです

(ので、読みたい人だけお進みくださいね)




芸術の秋
皆さんはどんな芸術に触れていますか?


私がしみじみ思うのは
どんな芸術もその作り手の人となりが
垣間見えるものだなぁということ

絵も字も音も舞も



ピアノにももちろん
性格や心の状態が面白い様に表現されます

歌う声や、話し声
呼吸までも性格がよく現れるものだなぁと
思います

それから部屋は心の状態とも言われていますよね



最近、仕事に対してびっくりする様な物事の捉え方をしている人と話すことがありました


私としてはその捉え方はネガティブな捉え方だと思うのですが、話していた人にとっては
「正義」だったんだと思います

私はその話を聞いてからしばらく何故その方は
その様な捉え方をするのかについて考えました





考えても答えはシンプル


「そう考えるのが好きだから」



なんだと思います




「何か」が起きた時

その何かを  

人のせいにするのが好きな人は人のせいにするし、

何かのメッセージかも?と捉える人は
その現象の裏のメッセージを読み取ろうとするのが好きなのでしょうし、

気にしない人は捉われたくない人なのでしょう



結局、人は


したいことをしている


のだと思っています




優しい人は
優しくありたい人



怒っている人は
怒りたい人



真面目な人は

呑気な人は

ふざけてる人は



それを望んでいる人




猫は人間に憧れているんだそうです



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だから人間の側にいるのかい?



いい言葉を紡ぐ人はそれがその人の芸術で 
冗談も悪口もその人の芸術



本来の意味の芸術に話を戻しますね


私は、鑑賞するより作る方が好きですが
作品や生の芸術に向かって批評する
批評家という者がいます

例えばピアノに対して

今まで聴いてきたワルツの中で最低のワルツ
ショパンのため息が聴こえてきそうであった

だとか


煌めく真珠の様な光が指先から溢れんばかりの素晴らしい粒立ちの音であった


だとか


なんだとかかんだとか言ってるわけです


演奏家に対してはもちろん、
クラシックの大作曲家の曲に対しても
傑作だの駄作だの言いたい放題言ってるけれど



あんたら


批評家の銅像はないからね





って いつも思ってます





例え人から褒められようと
貶されようと、作りたいものを作って
表現するべき


人を傷つけたりする
取り返しのつかない様なことは
ダメだけど、


「水の表現っていうかー、透明感の表現がイマイチだよねー」

とか言ってくるヤツの言葉なんか気にしないで
今の自分の出来る表現を楽しむべき

そんなこと言うヤツの心は
どろっどろの粘着質だからそいつこそ
心をサラサラキラキラ透明にするべき

昔は、そういう
「〜っていうか、◯◯なんだよね」
って言う人のことをうっかり、
頭のいい人だななんて思っていたことが
あったけれど、

今は



言ってろばーか。






やってみろばーか。




もしくは









不幸せな人なんだね。










って思ってます



批評家とは不幸せな人種
と。





誰かの言葉や態度の何かにモヤモヤしてしまっている人がもしいたら
それはその人がその状況を
望んでいるだけ
だから、あなたのせいじゃないよ


あなたなあなたらしくいてね



そんなことが言いたくなった夜でした










ちぃ八重飼い主は
口ばっかのヤツには言葉が悪め
(//∇//)