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ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

想像力

こんにちは♪


今日は、昨年末にこのブログの下書きをしたまま、投稿していなかった記事があったので少しだけ編集して投稿しようと思います。

去年というと11月に茶々が家族の一員に加わりました。



「まさかもう1匹増えるとは思わなかったわー🐾」



ふふふふ。

甘いよちぃちゃん。

二度あることは三度あるのだよ。




そんなこともあるかも知れない。
という想像力。


何においても想像力って大切よね。と、
改めて感じた人付き合いの一年だったように思っています。


相手を思いやるための想像力。

それと、想像力があるだろうと委ねる寛大さも。



いくらこちらが気を遣っても
伝わらないこともあれば、


伝わる人には伝わることもあって、


きっとこういうことなんだろうな。という
想像力で受け止める人もいる。



あまりにも言い訳ばかりしている人がいて
親切心で誤解を説明しているようで、私には
「私を勘違いしないで!攻撃しないで!
私を分かって!」
という心の叫びに聞こえて、

まぁ、若いんだね。と
思ったけれど

「若いんだね。」という言い回しで
理解できる人もいれば、
言葉のままに受け止める人もいるわけで。


結局は経験値がどれだけあるのか

どれだけ乗り越えてきたのか

どれだけ手放してきたのか

解放したのか

それらによって人はもう言い訳をしないで
生きていけるんだよね。


人と話すことにしても、
例えば音楽を奏でるにしても
絵を描く、踊る、何にしても
経験と想像力が必要で、それらがないなら
私は「本を読むこと」がいいと思っています。


本の中では様々な経験ができますから。




でも、何よりは
本物の経験ですね。


茶々を後ろからふいに撫でた時、
一瞬も驚かず撫でられたままでいる姿を見て
生まれてから私に保護されるまで母猫にちゃんと育てられたということなんだな。と思いました。外にいた期間はあったかも知れないけれど、人や動物から危害を加えられることもなく、運良く優しい手が差し伸べられ、母猫に愛されたまま、触られること、撫でられることを体で覚えている。こういう子は偽物の愛には体が反応しないようにできていて、そういうのが「育てられた」といえることなのでしょう。

素直に生きられるってそれほどラクなことはないけれど、最初から素直に生きられなかった人が素直になれる過程に人が感動する芸術が生まれもするんですよね。


そんなことを見たり聴いたり奏でたり。




昨年、100歳のお誕生日のお祝いの写真を貼る色紙の絵を描いた方が昨年亡くなったのだそうで、昨年は描きませんでした。

遺族の方の殆どがこれらを棺桶に入れ一緒に焼くらしいのですが、この方のご遺族はこの絵が綺麗だからと言って持ち帰ってくださったのだとか。(泣)

上手いわけでも、丁寧に描いたわけでもないけれど、100歳のお誕生日の為を思ったらいつの間にか花が沢山増えて、そして描けることの喜びが相まって完成した一枚でした。

これで何人目でしょう。

亡くなられたのは。

グループホームに勤める友人から
「今年は描かないよ、その人は亡くなったから。」
そう告げられる時、「え。」と思うけれど
「最後の誕生日に描いてあげられてよかった。」とも思うのです。
友人は「こんな可愛く描いてもったいない。
認知症だからなんも分かってないよ」

なんて言うけれど。


私は勝手に何かは伝わるはず。
と「想像」してこれからも描いていこうと思っています。


今日は、私に絵を描く機会を与えてくれた
友人の誕生日。


先月誕生日だった私に色鉛筆をプレゼントしてくれました。
🌈174色!!

これはさすがにもう、友人のために
一枚何か絵を描くか、ぬり絵を塗るか
しなくては!です。


私たちが出会った中学生の頃に出来た
古いショッピングモールの敷地にある星乃珈琲店で、何十年と変わらない2人の他愛もない話と笑い。
これから先、何十年経っても変わらないよねと
想像しています。


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