にほんブログ村 猫ブログ MIXサバトラ猫へ
にほんブログ村

ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

何が幸せ

こんにちは♪

クンクン


招き猫が気になって仕方ない八重姫🐄



2匹仲良く並んで外の観察。


こちらはちぃ茶々。


4年前はちぃちゃん1匹だった我が家。
今は八重姫と茶々姫が加わって3匹。


実に幸せです♪


私の幸せは何かなぁ?と思う時
家族がいること。
猫と暮らしていること。
ピアノが弾けること。
かなぁ、と思っています。


時を遡ること、ン10年前。

高校生の時のこと。

通う電車が一緒の仲間で友だちになったコが
ある時、電車で座っている私に向かってこういいました。

「◯◯って、いつも違うバッグだよね。」

「え?! そう?」
そんな自覚がまったくない私は
聞き返しました。すると

「うん、そのバッグだって昨日と違うバッグだよ?」


え。そうなの???

たとえ私が通学のバッグを取っ替えひっかえしていたとしても、何人も通う友だちがいる中でそれを観察していたことに私はとても驚きました。何せ私自身にその自覚がなかったし、他人のバッグにも何の興味もなかったので、不思議なこと言うコだなぁと思いました。

いつも違うバッグだよね
と言った彼女はというと、入学時、学校指定で買わされる指定バッグを持っていました。
そのことも何故なのか後に理解するのですが、
当時の私は「真面目だな。」としか思っていませんでした。


彼女はよく、お弁当を買うお金がないと言って
当時流行っていた炭酸ドリンクを一本だけコンビニで買ったり、夕飯は100円しかないからうどんを買うのだとか、100円でいいから頂戴?とかそんなことばかり言っていたのですが、
「えー!笑マジでー?冗談でしょー?😆笑」と言って
ただの笑い話程度にしか思っていませんでした。

その子は、その後も部活に入ったけれど、
部活のユニフォームやジャージにシューズなど
買わないとならないけれど、多分、ジャージだけでも2、3万円するから買えないから辞めることになると思う。と、私に話してきたことがありました。
そんなことあるかい!!と、本気でまったく
理解できなかった私は、彼女はきっと、親に言い出しずらいんだなぁ、だったらお年玉とかおこづかいなんかの自分のお金で買っちゃえばいいじゃん。と、思っただけでした。

彼女は高校を一年生の途中め辞め、働き始めました。交流が続いていた私は久しぶりに彼女の家へ遊びに行きました。19歳か20歳の頃だったと思います。私はそこで嘘でしょ??と思うほど驚くのですが…

私が高校生の頃というのはバブルの名残期とでもいうのか、まだ若者はは浮かれ上がっていて、若いお姉さんたちはセンスを持ってお立ち台で踊り、ブランドバッグや服で身を固めていたような時代でした。高校生でも通学にヴィトンなんかのバッグを持ってマフラーはFENDIを巻いていたような時代。
私はモスキーノが可愛くて当時のお気に入りブランドで、よくモスキーノのバッグで高校に通っていました。しかし、日本で流行ったのは短期間であっという間に誰も持たない廃れたブランドと化していたのですが、そのもう誰も持たなくなったモスキーノのバッグが、彼女の部屋にあったのです。
「どうしちゃったの??働いているし、いくらでももっと今流行りのバッグが買えるだろうに、モスキーノなんて恥ずかしい。え、マジで信じられない。は?は?はー???」とは言いませんでしたが、
理解に苦しむ光景でした。
というのは、当時は今よりファッションなどの流行にみんな敏感で、流行りの変化も目まぐるしくて、皆んなそれぞれ趣味にあったファッション雑誌を買っていて、発売されればすぐに飛びついて買うようなイカれた購買意欲を持っていて、ちょっと前の流行り物を持っていることは、「ダサい」ことでした。

だから、とてもとても驚きました。

なんなのだろうか??


私はまだまだ気づきません。

「ダッサ!!」多分そんな風にしか彼女のことを思わなかったと思います。



彼女とは、どういうわけか
時々連絡をとっていて、お互い大人になるにつれ、昔の出来事や家族のことなどを話すようになっていき、そこで初めて彼女は高校の頃、
家庭が貧しかったことを知りました。
ダイエットでもしていて、お昼はドリンク一本だったり、夕飯がうどんだけだったりしていると思っていたのは、お金がなくて買えなかったこと、部活のジャージも本当に親は払えなかったことなどを知っていきます。その頃、電車で言われ衝撃的だった「いつも違うバッグだよね」発言についてなぜそんなことを聞いてきたのかを尋ねてみると、
「◯◯さ、モスキーノのバッグ持ってきてたよね?」

「あー、うん。持ってたねー。」

「あれって、◯万円してたよね?」

「はー???そんなしてた?え、全然記憶にない。そんなにしてないよ!するわけないじゃん、高校生だったんだよ?」と言うと、

「ううん、したよ。私、売り場に見に行ったんだもん。だから覚えてる。◯万円もするんだってびっくりしたんだもん。」
私のバッグを見て、すぐにデパートに見に行ったのだと言われた辺りからなんとなく、理解し始めました。

私に値段の記憶がないのは、当時、飲食店をやっていた母のお店によく来てくれる会社を経営しているお金持ちの常連さんがいて、「好きなもの買いなー」と平気で何万円もバサッとお小遣いをくれたりしていたので、そのお金で買ったというしょうもない理由なのですが、それもこれもバブルの仕業で、私のせいではないと言わせてもらいたいのですが、親も何でも買ってくれるし、小遣いもくれるし、その上バイトもしていたし、お年玉もなんだか知らないけど凄いもらえていたし、付き合っていた彼氏もバイトでやたらお金を持っていたので、とりあえず
金銭感覚バグっていた高校生時代だったのです。だからといって自分や親が金持ちだと思うでもなく、周りの友だちも皆んな同じような感じだったし、何か唯一わけのわからない経済事情っぽいのは、彼女だけでした。

彼女の口からついに、「私ね、働いてモスキーノのあのバッグ買うんだって思ったの。」と言われました。でも、もう売ってなかったのでしょう、数年後に私が彼女の部屋で見たモスキーノのバッグは、違うデザインのバッグでしたが、部屋の中で堂々と存在していました。

きっと、
「あ、また違うバッグ買ったんだ。」
とか
それだけじゃなく、もしかしたら、お弁当や靴、時計、アクセサリー色んな持ち物や家族の話に何か思っていたことがあったかも知れないです。
当時の私は1ミリも察することなく、
変なのー!位にしか思わず、わかってあげることもなかったのですが、その頃母に
「お金なくて今日は夕飯素うどんだけとか、100円貸してとか言ってくる子がいるんだよー😆笑」と、能天気に話すと、「可哀想に。そういう子にはよくしてあげなよ。」と言われました。

ふぅん。
全然わっかんないけど、そういうものかね。
と、母に言われたことで、どこかで思っていたのでしょう、長いこと何故か知らないけれど放っておけない存在でした。

が、思うところがあって彼女とは疎遠になったのですが、インスタは知っているので見てみた時、一生懸命料理をしていたり、外食したものをあげていたり、ブランドバッグを載せていたりしていて、あぁ、よかったね。と、思うのですが、彼女にとっての幸せって何なのかなぁ?これなのかなぁ?と、ふと思うことがあります。


私は、親から何かを買ってもらえないとか
食べさせてもらえないとか、そんなことは一度たりともなかったし、いいなって思ってるんだよねーの一言で、バイクも外車も買い与えられ、ピアノも買ってもらったし、旅行も嫌というほど連れて行ってもらったし、外食も値段など気にしたことなどまったくなく、寿司屋のカウンターでガキンチョの頃から「んー次はぁ、赤貝。」などと言い、「庭にでっかいプール作ってくれ」とか言ってるような子ども時代で、
理由も費用も聞かず行きたい塾にも学校に通わせてくれたけれど、「あぁ、幸せ。ありがたい。」なんて
微塵も思ったことはないのです。
なんなら、勝手に車買ってくれたのはいいけど、相談なしにランク決められてたり、オーディオ選べなかったりしたことに怒っていたような小娘でした。ありがとう、を親に言ったかな?

でも、それを
幸せだなぁと、思うような人がいたことに
いまだにピンと来ないのは、幸せじゃなかったんだろうなぁ、と思うのです。


いくら、あなたは幸せだったんだよ
と言われても。

私には、私の思い描く幸せがあったし、
それが手に入らず、一歩間違えば命を絶とうとしてしまう位には悲しみを拗らせた思春期だったりもしたのです。



お金や物がないとか、親に頼めないという苦労をしなくて済んでいたことが、幸せだったのか
私にはよくわからないです。


姉は、高校時代陸上部だったのですが、
学費の高い私立高校に通わせてもらっている上、スパイクは高いので、中々親に新しいスパイクを買ってと頼みずらかったんだそうです。
その時の自分の気持ちがとても嫌で、姉の子どもにはその様な思いをしてもらいたくなくて、
何でも好きなものを買ってあげた。と、言っていました。

ほーぅ、姉妹でこんなにも違うかね。笑



でもね、やっぱり私は
物じゃないんじゃないかなと、思うんです。
親が愛情込めて作ってくれた料理は嬉しいものですが、散々高級な料亭も旅館も連れて行ってもらえたけれど、嬉しかったなぁ!という思い出ではないです。ただ、行ったことを覚えてるというだけ。


そこで楽しい会話があったり、楽しい思い出が
くっついていることはあります。だから、その料理も美味しかったな。という風に思えて覚えていることもあります。


結局はそこなんじゃないかなぁって。


「普通でいいんだよなぁ。」ってよく
こどもの頃思っていました。




マツコがね、
「極まで行っちゃだめよ。
極を知ると、反対の極も知ることになるから。」とテレビで話していて、ごもっとも。
と、思いました。



絶対に虚しさが残ると思うんですよね。




だから、私は猫がいてピアノが弾ければそれだけで充分といつも思っているし、

レジでお金を払いさえすれば手に入る物に
幸せはないと思っています。


あなたにとっての幸せは何ですか?






にほんブログ村 猫ブログ MIXサバトラ猫へ
にほんブログ村