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ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

キャラメル

こんにちは♪

クリスマスイブ皆さんいかがお過ごしですか?


仕事や用事を終え、夜は姉と食事をしに行ってきました。

「子どもたちが小さい頃はクリスマスも楽しかったけどねぇ、おもちゃも買えなくなってつまらなくなっちゃったねー。おもちゃ買いたいねぇ」などと話しながら。


友人や家族にクリスマスプレゼントを買って渡す楽しみってあるけれど、子どもにクリスマスプレゼントを買うって楽しみでした。


我が家は、サンタさんからと、親から別々に用意してあげていたので、しばらくサンタさんは信じられていました。


そんなサンタさんや、プレゼントの話になると、父親が話すお決まりの話があります。
それは、父が幼い頃、クリスマスイブの夜に靴下を枕元に置いて眠り、朝起きると、欲しがっていたおもちゃではなくて、キャラメルが入っていて、切なくなった。という話なのですが、
私はこの話が大好きなんです。

父が生まれたのは太平洋戦争中で、空襲が酷くなってきた頃は茨城県疎開し、戦争が終わり帰ってくると東京は一面の焼け野原。皆んなが
毎日生きること、復興することに一生懸命な中
クリスマスにおもちゃを子どもたちにあげられる程の余裕はなかったんだと思うんです。それでも幼く夢見る子どもたちの為にとキャラメルを用意した祖母の気持ちを思うととっても温かい気持ちになるんです。
父は毎回、「あれは切なかった。」と話すのですが、いや、貰えなくて当たり前の時代だし、
クリスマスの夜におもちゃのプレゼントが用意されてた家庭の方が少なかったのでは?と、思うし、「そんなものもらえるわけないよ!」と
夢を壊すような親がいてもおかしくなかった時代でもあったんじゃないかなぁと思うんです。
おもちゃを楽しみに眠る子どもの枕元の靴下に
キャラメルを入れる時の祖母(祖父?)の気持ちを思うと、涙が🥲溢れる思いになるんです。
切ないのはアンタじゃないのよ。祖父母だったんだよ!と、言いたくもなるのですが、
「キャラメルでも用意してくれただけいいじゃないの。」くらいにして、話を聞いています。


私はこのキャラメルの話が好きで
クリスマスになると娘たちに話してしまいます。

荒地の魔女(母ともいう)も、父と結婚し
嫁に入った時、祖父母と暮らして
「とても家族らしさというものを知った」
と言っていたように、祖父母は愛情深い人だったんだなぁと、思うと同時に祖父母を誇らしく
思うのです。

優しかったもんなぁ。


会いたいなぁ。



「キャラメルで切なかった。」
そう思う時代の子どもたちだったのが、
昭和の父の世代特有の上昇思考ド根性世代
でもあるのでしょうね。そのおかげで私たち世代のぬるま湯が用意されたわけで。
ぬくぬくと。

こうやって、いつの時代もないものねだりをして、欲しかったものを次の世代に与えやすく頑張って、次の世代は又ないものねだりをして。
繰り返していくんでしょうね。


私はキャラメルを買ってきた祖父母を支持する派ですけどね。
嬉しいけどなぁ。
子どもだったら切なくなるのかな。


今朝、二女が

「今年のクリスマスプレゼントは茶々だったね。赤と緑のリボンで茶々の首輪を作ろう」
と言ったことが印象的でした。

私も、神様ありがとうございます✨✨
という気持ちでいました。
茶々と出会えて暮らせているのは神様からのプレゼントのように思えていましたから。


ちぃちゃんだけの時には味わえなかった、

ちぃ八重だけの時には味わえなかった、

ちぃ八重茶々になって、それぞれが今まで以上に愛おしく感じるようになれたのは、これはもうプレゼントとしか思えないんです。

大切にするから増えていくことってありますね。




あー、キャラメル食べたい。





素敵なクリスマスを過ごせますように♪🎄



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