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ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

思いをもらう

こんにちは♪

10月に咲いたソメイヨシノ🌸

こんなことあるんですね。
びっくりしました🫢

今日は爽やかないい天気の1日でした。


あららら!
こはちぃ姐さんの特等席。

八重ちゃん、どんな所でもお構いなし🐄


これこれ💦



さて、今日は飼い主の私が思ったことを
呟きたいと思います。

いつも私の思いを書いてるんですけどね。



最近、身近な人やSNS上で見た話で感じたことなのですが、

ものを物として受け取る人と
思いとして受け取る人がいるよなぁ。

ということです。


物は物ですが、それが出来上がるまでの過程や
買うまでの労力や、思い。
それらを丸ごと受け止めて、
受け止めたことも思い出にしながら
大切にしていく。いただく。


思いがカタチになって
手渡されたモノを


「こんなに貰っても困るんだけど」

とか

「こんなに食べきれない」

とか

「こんなのもう捨てちゃえば」

とか

「こんなのみっともない」


とか。



いやー、違うんだよねぇ…。



ありがた迷惑という言葉もあるけれど

ありがたい。けど、迷惑。なんですよね?



いや、ありがたいじゃん。

「迷惑」掛けようとしてないんで、
迷惑の部分はこちらがどうにかすればいいんだと思ってます。




なんでこんな話しているかと言うとですね。




今日一日の中で2つの話がありました。


長女は今、同棲をしているのですが
その前は一人暮らしをしていて、一人暮らしをするにあたり、整理収納アドバイザーの資格を持つ友人にお願いをして部屋の寸法を測ってもらい、家具の配置や使い勝手のよさなど色々アドバイスをいただきながら、買い物も付き合ってもらって、キッチンの棚を購入しました。
その棚を今の住まいのキッチンでも使っているのですが、彼氏が物がごちゃついていて嫌らしく、もっと大きな棚を取り付けて、
「スパイスを一列に並べたい。」んだそうです。今の棚だとスパイスが二列。それがなんだってーの、なんですけどね。
長女は普通に今のままで何の問題もないじゃん。と、思っているみたいでしたが、
私は、たかがキッチンの棚ですが、それを思う時、友人とあれこれ話合いをして決めて買って
女3人であーでもない、こーでもないと組み立てたりやり直したりした時のことが思い出されます。
私だったら、処分できません。
あくまでも、私だったらです。

私が結婚することになったとき、荒地の魔女
(母ともいう)が一通りの家具を揃えてくれました。二世帯住宅で、それほど広くないダイニングなので、コンパクトな食器棚やダイニングテーブルを選んだのですが、もう25年近くも前の家具だからデザインも今どきのものではないし、もっと使い勝手もデザインもいいものはあるし、いいなぁと思う時もあるけれど、
でも、あの時魔女が私に「家具買いに行こう」
と言ってくれた時の様々なことが蘇るんですよね。魔女の思いや、私の思いも含めて選んで買ってもらったものなので、不便だからとか、
もっと魅力的なものが現れたからだとかいう理由で処分する気にはならないです。

大切にするってこういうことなんじゃないかなぁって思うんですね。


だから、私は「ものをもらう」というのは
思いをもらうと一緒。


ホテル暮らしのようなミニマムなインテリアの部屋は私もいいと思うし、素敵!って思うけれど、実際には出来ないです。
お土産にもらった置き物があって
近所の中華料理屋がくれたカレンダーがあって
ちびっ子が折ってくれた折り紙があって
魔女が作った鉛筆立てがあって
娘たちが描いた絵や書が飾ってあって
あっちからもこっちからもいただいた柿がある。
それが人と暮らしてる証拠でしょ。って
思うんです、私は。


あと、もう一つはSNSで見た話ですが、
おばあちゃんが、孫のためにと思って
おはぎを作ってくれたが、正直迷惑だと思っているという話。魔女宅にもありますね、ニシンのパイ。
お孫さんと一緒に作ったらしいのですが、
そんなことする位ならスーパーかどこかで
1、2個買ってきてくれた方が嬉しいんだそう。

これもねー、私はもう祖母は2人とも他界してしまってますから叶わぬ夢ですが、
一緒におはぎが作れるとしたらただただ嬉しいです。このお孫さんは量や甘さが不満らしいのですが…。
笑っちゃうほど甘くても、持ち帰れないほど
大量になったとしても、おはぎが好きじゃないとしても、私は嬉しいんですよね。
嬉しい以外の感情は湧かないです。

昔、ピアノ講師の友人に生徒の親御さんが
夕飯を作ってくださって、一緒に食べてきたのだけれど、「ダイエット中なのに困っちゃった」と言ってとても驚いたとともに、

「◯◯ちゃんのためと思って作ってくれたものは太らないよ!」

と熱く伝えたら

彼女は、「そっか、そうだね😊」

と言ってくれたけど
そんなことを思いながら作ってくださった食事をいただくなんて私には出来ません。

「頂き物は太らない」が私の定義。笑

好意の行いに正解も不正解も
迷惑もないんですよ。



だって好意だから。
愛です。Loveだよ。



例えば、限度を知らない人や
世代ギャップのある人、いますし、分かりますよ。私もつい最近大量に頂いた食品がありましたしね。


悪意なら受け取りません。


好意である以上、私は受け取ります。
ただ、そのカタチあるモノをどうするのか
だけの話です。

それが、物ではない音楽の場合だってあるんですよね。歌や演奏の場合も。
舞踊の場合もある。会話の中だったり。



それらを贈りたいと思う人の心を止めることは出来ないです。


逆に、悪意の場合もありますね。
妬みに嫉み、悪口、陰口、噂話。
無責任な押し付け、嫌な念。

それらをおくる人も然り。
止められないです。



ただ、変えられるのは
受け手の自分。



好意も悪意も
おくる人を止められないけれど

受け取る自分は変えられるんですよね。
それが、受け止め方次第というもの。




人それぞれですから、いくら好意でも
苦手なものを作られて嫌なものは嫌でしょう。

でも、私はもう二度と祖母と草餅を作ることもできないし、和裁を教わることもできない。
一緒にまた、草餅が作れるなら死ぬほど大量に作って持たせられても私は嬉しいし、
好みじゃない柄で縫ったねんねこ半纏だとしても、死ぬまで着ると思うんです。

それがわかっているから
魔女に何か大量に持たされても
どんな一品の料理でも、感謝しています。


私は、娘たちが幼い頃やヤンチャしそうな年頃に、こんな話をしました。

「消しゴム一つ、鉛筆一本でも
どれだけの人間が関わってどれだけの時間をかけて作られているのかよーく考えたら、絶対に
物を盗むということはできないはず。
もし、あなたたちが万引きをして警察に捕まったら、ママは絶っっっっ対に迎えに行かない。
大概のことは味方になってあげるけど、
もし、作り手の人たちや時間や思いをも盗む人間は私の娘ではないから、迎えに行かない。一生牢屋に入っててね。」と、何度か話をしたことがありました。

ぶんぶん首を振って「そんなことはしない😢」
と言っていましたが。


ものは、物じゃないんですよね。


思いだから。


身勝手な理由で簡単に捨てようとしたり、食べきれない、好物じゃないから迷惑と思う前に、
物に関わる人や思いを汲むことのできる自分でいないとね、と思うし、それが嫌な人は
無人島で一人で暮らすんだね。と思うのでした。



ついでにキャストアウェイ🌴も観なはれ。





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