こんにちは♪
前回の違和感は大切なんだね① - ちいさなちぃちゃんの続きです。
今まで、私のもとにピアノを習いに来た人
全員に共通していた目的は
「ピアノが弾けるようになりたい」
でした。当然過ぎて感じられないでいたのですが、親に連れられてやらされていた子との
「親のため」のレッスンを味わった私は、
弾けるようになりたくて来ている生徒さんとのレッスン時間がいかに楽しいものなのかを
感じました。
少しずつ弾けるようになってきた瞬間
素敵な音が鳴らせた瞬間
2人で音楽を奏でられている瞬間
様々な瞬間が、なんて楽しいんだ♪と
感じられ
「楽しいね♪」「楽しかったね♪」
「今のよかったね♪」「がんばったね♪」
「このメロディいいよね♪」
といったような会話が増えました。
どの生徒さんとレッスンしても、曲に向き合っている姿や音に毎回成長や感動を細かい瞬間
瞬間に感じられるようになりました。
それは、弾きたくもなくてダラダラと
どうにかこうにか30分過ごさなければならなかった苦痛のレッスンのおかげでした。
やらされ君の母が体験レッスンの時、
私が何かお聞きしたいことはありますか?と
尋ねた時
「あの、ピアノの才能があるかないかはいつ分かりますか?」
と、聞いたことがありました。
違和感の塊の質問でした。
「はぁ?」
言ってることは分かるけれど
そんなことを聞いてくる親御さんはいないんですよ。
聞いてくる意図が最低過ぎてとても嫌悪感を抱きました。
根底にあるものが「弾けるようになりたい」
と言っているから、教わりに来ました。
というスタンスの親御さんはそもそも抱かない気持ちだと思います。
それが、「弾ける子にしたい」という思いで連れて来ている場合、
この材料でパンを作りたいけど果たして作れる?作れない場合、どの時点で気づけるかな?
それならそれで早めに知りたいな。といった
感じと一緒で、
この子にピアノの才能があるかないかはいつ分かりますか?と、聞いておきたかったのだと思います。
なんてことを聞く人なんだともの凄く呆れて
怒りの感情を隠しながら、
「何をもって、才能があるかないかというお考えですか?それによりますけれど。
ピアノの才能があるというのが、プロとして世界で立派に活躍出来ることだとしたら、私はピアノの才能はないですよ。」(隠せてないや)
って言いました。
考えの浅い人間の「ピアノの才能」でしょ?
分かってますよ。
運動音痴なのか、その道の人が見れば
どこかで分かるでしょ?それはいつ?
ってことですよね。
でも、サッカーが好きだったらやってればいいじゃないですか。
パンを焼いてみたいなら焼き続ければいいじゃないですか。
失敗して、練習して、研究して。
その原動力は好きだから。しかないですよね。
ピアノが弾けるようになりたい人にとって、
ピアノを習いに行けるようになったら
殆どもう夢は叶ったんですよね。
パンを焼きたい人が、パン教室に入ったら
焼けるかどうか、焼けないなら辞めたいから
いつ頃焼けるか焼けないか知っておきたいとか
考えないですよね。
まずは、入会した時点で夢が叶ったも同然。
そこの辺りがやはり、「させたい」という動機がそもそも、、でした。
私の旦那は何カ国話せるのか謎ですが、語学の勉強が好きで、私も大したレベルではないですが、好きです。
娘たちが生まれた頃、子どもに英語を習わせる親は沢山いました。幼稚園から始めた教材にも英語の学習はあったし、幼児向け番組でも英語のコーナーがあったりしてそれなりに身の回りに英語学習は幼い頃からついてまわっていました。ですが、私は習わせようとは思いませんでした。興味を持って勉強したいと思えば始めるし出来るはずなので、その時すればいいと思っていました。何度か2人の娘に「英語習いたい?」と聞いてみましたが、「ううん。」と言うのでそのままにしておきました。
旦那は長女の英語力を知り、「よくそれで高校に入れたな。」と驚いていましたが、
のーぷろぶれむ。笑
それでいいと思っています。
柔道整復師の旦那さんと保育士の奥さんの間に生まれたお子さんに、かたや柔道を習わせる
かたや いや、絶対ピアノだと言って譲らないお二方の話を聞いて「お子様おいくつなんですか?」と聞いたら「先月生まれたんです」
と言っていて大笑いしてしまったのですが、
そんな小さいうちは夢物語としてね、話していても微笑ましいですけれど、でも親としてやらせたいことがある人っているんですね。
自分がやればそれでいいじゃん。って思ってます。いつも。
結局。
その生徒の母親に対して私は最初から違和感を感じていて、礼儀のなさにも相当呆れましたが
嘘をついて私に振替レッスンさせたことが
何か彼女を表しているなぁと思いました。
一事が万事。ストレートではなくて。
彼女は電話をかけた私に、「なんか、拗れちゃいましたね、」と言ったのだけれど
うん、あなたが拗れてるんだよ、きっと。
以前のブログにも書きましたが、ピアノを本当に弾きたい人は私は彼女のお母様。やらされ坊やのおばあちゃまだと今も思っています。
ピアノを買って実際に自分の足で習いに行った人は彼女ですから。
叶わなかった夢や、挫折や希望を誰かが代わりにやっちゃだめ。
そして、私もそういった
違和感を感じたら離れなくちゃだめ。
アンテナの感度を信じよ…。
そんな私がセンサーの反応の数秒後に即
行動したお話はまた今度。
でも、この親子と接した1年間は
ピアノが弾きたくて習ってくれている生徒たちとの時間が楽しくて尊くて感謝すべき時間だと気づかせてくれた1年間でした。
あってよかった経験だと思っています。
10月 11月 12月に起きたことが
来年1年間を表すんだとさ。
今のところスッキリ✨✨
よりよい3ヶ月を💛