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ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

荒地の魔女(母)について。

ちぃちゃんを産んで育ててくれたお母さんは
どんなお母さんだったんだろうな。


八重ちゃんを産んで育ててくれたお母さんは
どんなお母さんだったんだろうな。



ちぃちゃんと八重ちゃんはちゃんと覚えてる?

動物対話士さんとのセッションの話の間に
飼い主のつぶやきです。
このブログによく出て来る荒地の魔女(母ともいう)について今日は書きます。

まず、なぜ今日母について書こうと思ったかというと、本当はこれはまだ下書きの段階でいつか母にちなんだ日に投稿しようと思っていた内容でした。しかし、前日投稿した「喋り過ぎる人」の中の喋り過ぎる人の話を聞いて心が騒ついてしまい、今、投稿しよう。と思いました。
喋り過ぎる人のことは、オブラートに包んで記事にしたつもりでしたが、馬鹿な私はその作者の話をダメ押しで最後に一つ聞いてしまいました。結果として、聞いてよかったとは思っています。

作者はさらに追い討ちをかけるかのように
悪口を言っていました。
ファンだった私は鼓動が久しぶりに速く打ち
言葉控えめに言わせてもらっても…
やめとこう。暴言しか出なさそうですから。
どう、どう、どう。

まず、悪口を先に言い、その後作者は
いかにして自分の力で「悪」とする部分を
減らしているか、減らす努力をしているかを
語っていました。

待て。
いや、立ち止まったことがあるのかな?
立ち止まり方分かってるかな?

その悪口を言われている人は言われていい人なのかい?
あなたは何でも言っていい人なのかい?
その人の顔も声も動作もこの世に自分で配信しておきながら、その人物の悪口を言ってしまうのかい?実はこんなことを言う人間で、私は嫌な思いをしているのだと言うことを、
ファンである人たちに向けて言い、それを聞いたファンの気持ちがどうなるのか考える心も
あなたは持ち合わせてないよね。
あなたが言っている「悪」とする部分を
あなたもしているんだよ?
しかももっともっと大勢の人に向かって。
あなたは、何を伝えたいんだい?
あなたは、誰から生まれてきたんだい?
その両親を生んだのは誰なんだい?
その親を生んだのは誰なんだい?
あなたに悪口を世に話された彼女は
世に話されてもいい存在なのかい?
あなたのしていることは、あなたを満たすために、彼女をダシに使っているのだよ。
大切な存在なのじゃないのかい?
私は前回の投稿で、2度と見聞きしない。と
書いた。が、聞いてしまった。
しかし、最後まで聞いていられなかった。
あなたのしていることを私は許せない。
私は大抵のことを許す人間だが、
あなたみたいな人間は許せない。
こんな言葉たちを私のブログに記すのは本意ではないが、控えめに言って「許せない。」





↓ここからが、以前書いていた内容です。


私の中の母との古い古い記憶。

幼稚園位の時、いきなりピアノを買いに連れて行ってくれたこと。

食の細かった私に食べやすいようにと海苔巻きを作って食べさせてくれていたこと。

手毬唄を歌いながら遊んだこと。

冬に自転車の後ろに乗る時寒くない様に
座布団を敷いてくれたりこれでもかという程防寒具を身につけてくれていたこと。

外遊びして家に入る時は
手だけでなく足までゴシゴシ洗われ
「サッパリしたね〜✨」と言われ
髪を洗った後のサラサラの髪を触っては
「リンスしたからサラサラ〜」と言っていたこと。(ど昭和の話)


この辺りの記憶が最も古い記憶。




幼稚園に迎えに来る母は
遊んでいる私を見て爆笑し、(何故?)

帰ると大概、

今さっきまで掃除していました✨✨

といういつも綺麗な部屋だった。


毎日のおやつがスナック菓子だった記憶はまったく無く、(11離れた姉が買ってきたり、駄菓子屋に行って買って食べていた気がする)
何を食べていたんだろう?と思うが
レディボーデンの食べすぎで死にかけた事があるのと、果物屋とケーキ屋にやたらと行っていた記憶はあるので子供のためというより、魔女の食べたいものを一緒に食べていたんだと思う。
母の作る料理はとても美味しく、私はとてもではないが学校の給食が食べられなかった。他人の作る料理も食べられず、初めて他人の作った鶏の唐揚げを食べた時、母の美味しい唐揚げを思い出して泣きそうになってしまったほど、母の料理に呪われていた。
料理というのは、私は作り手の思いも一緒に食べているのだと思っている。だからなのか、本当は人は、母か自分の作る料理以外は食べない方がいいと何かで読んだ記憶がある。


着せられる服は仕立てられた服や
デパート、子供服専門店の一点物など
幼心にヤベーの着せられてるな。という自覚はあった。

あまりにも皆んなとかけ離れた服装をしていたので、最後に転校した先の田舎の小学校では浮き過ぎでしまい、皆んなと同じ大量生産されている服と靴を買って欲しいと思うこともあった。


けれど、母本人がオシャレなことは
誇らしかった。
姉は、授業参観の時、母が来ると
男子から
「ジュディオングが来たー!!おまえの母ちゃん、ジュディオングだよなー!!」と
言われて、死ぬほど恥ずかしくて嫌だったらしいが、
私は嫌じゃなかった。

昔の母は恐ろしいほど美しかった。

化粧をし、服を着替え、どんどんキレイになっていく母を見ているのが本当に怖かった。
すっぴんでいる母とまるで別人格に入れ替わってしまったのではないかと思うほどの変身ぶりだった。

私たち姉妹はふざけて、妖怪人間ベラだとか
言っていたが、それを聞いてもケラケラ笑っている母だった。
母は機嫌の悪いことがあっても、怒ることや叱ることはなかった。どれほど私の口が悪くても母はそれを聞いて心から笑っていた。


昔、父はよく油絵を描いていた。
人に頼まれて芸能人の絵も描いていた。
描きかけの絵を見た時、
あ、母を描いているんだな。
と思った絵があった。
それは後に浅丘ルリ子だったことが判明するのだが、まぁ、女優に勘違いするくらい
母は美しく、美しいモノを纏い、掃除が好きで
清潔を好んだ。


そして、よく笑った。
化粧が落ちてしまうくらい笑っていた。


面白い話が好きで、
人を笑わせるのが好きで、
人のために何かを振る舞うことを自然にする人だった。

この、「自然に」が
私が母の好きなところである。

そこに、自分をよく見せようとか
褒められたいとか
嫌われたくないとか
裏の気持ちがなく、もてなす事が出来る
動ける。

それは、父も同じで
よく、似たもの夫婦と言うけれど
両親に似たところがあるとするならば
その点はよく似ていると思う。



本能として相手の痛みと同じ目線に立つ事ができ、行動を選ぶことができる。

母のその行動力で何人もの人の生活が救われていくのを私は見ながら成長するとができた。


最近の母は今まで述べたそれらの色々が
きっちり、はっきり表されることはなく
まぁるく表される様になってきた。


年をとったなぁ…。と思うのだけれど

最近、2人で話しながら
母のことをまじまじと見て

あぁ、でも眉毛描くのうまいなー…。
今日の髪型決まってるなー…。
と感じた時、やはり母の中では
ジュディオングと呼ばれた、私に浅丘ルリ子に間違えられた時の美しさが希望としてあるんだろうな、と思った。



母は昔から品のいいヨーロッパの格調あるデザインの輸入家具や照明を愛し、私たち姉妹はそれを「少女趣味!」と茶化したのだけれど
やはりそう言われてもケラケラ笑いながら
可愛らしいお姫様が寝るようなベッドメイキングでお姫様が履くようなスリッパを買ってきたり、小さな可憐な花の刺繍が施されている小物を買ってきてはウットリする母だった。
それは、ブリブリに何もかもというわけではなく、そこら辺のバランスもよく、華美過ぎず
派手過ぎず、控えめな品があった。
このセンスの良さを受け継ぎたかったが、
私は受け継ぐことはなかった。
というのは、母はこんなデザインが好きだろうと思い買い物先でこんなのはどう?と聞くと
「ちょっと派手すぎる。」とか
「色がキツイね。」などと言われてしまうのだ。
センスのない私は分かりやすいものを選んでしまうのだが、母はそうではなく、きちんと
手持ちの何と合うか、自分に似合うかとか
様々なバランスをよく考えて選んでいる。
それは、私たち娘へ買ってきてくれる洋服もそうだった。私は服が可愛くて買ってしまったり
着せたくて買ってしまっていたけれど、
母は必ず「◯◯に似合うと思って。」と言って
買ってきてくれていた。それらはすべて私のセンスにはない、優しく穏やかな中にちょこっとした可愛らしいデザインが施された品の良い服ばかりだった。
ある時、有名ブランドの子供服で紺色に白のスズランの綺麗な刺繍が施されたセットアップが
可愛くて、欲しくて、娘に着せたくて一緒にいた母に「見て!!これ!可愛い!」と興奮気味に言ったら、「似合わない似合わない。」と
首をぶんぶん振りあり得ないよという顔をしながら否定されたのだが、今思い返せばその通りだったな。と思うのだ。

と、いったことは一事が万事で
「適しているのか」という判断力はずば抜けていて、商売運にしろ、金運にしろ持っている。


母はもう80近いのだけれどまだちゃんと
収入がある。
それは、母の力で得ている。
額はもう大したことはないけれど
そこら辺の3.40代のサラリーマンの月収よりは稼いでいる。

母がまるで女優の様な美しさであった頃は
旅行に行く先々で銀行からのもてなしのメニューが用意されていた程、稼ぎに稼ぎまくっていた。

父は父で自営業を営み、20代で一軒家を建て立派だと思うのだが、母はもっと大きい家を建て自然溢れる場所で住みたいと言って、父の建てた家をとっとと売った。
ちょうど40歳あたりで二軒目の家を広い敷地に建て、どんどんどんどん家を大きく広げていった。広げるだけでなく、リフォームし続け
私の手や足を洗い、髪を洗ってはキレイさに
ニッコリするように、日々、家と庭を綺麗にしては満足している。


母に見栄というものはない。

金持ちの見栄があったら
200坪からの庭の草むしりなど一人で一日中しないと思う。手伝いでも雇うか、父にやらせればいいのだ。

ただ、美しいものと
美味しいものと
それらを手に出来るお金が好きで
それらを自らの手で生み出すのが好きなのだ。



だからといって何もかも自分一人でやる
可愛げのない女というのでもなく、
父はよくこき使われている。



そのおかげで父はなんでも出来るし
体も年の割には動く方だと思う。


母はよく笑う。
人を笑わせることも大好きだ。
人がメソメソしているのが嫌いで
うじうじした人や話を聞くのも嫌っている。

私が若い頃、死んでしまいたいと思ったほど
辛く落ち込んでしまった時、
父は、「何でも話をしな。家族なんだから。」
と、寄り添ってくれた。
母はというと、
庭で2人並んで座り、あまりにも弱りきっていた私は母の肩にもたれかかった。 
そんなことをしたのは後にも先にもその時だけだったように思う。私は優しく慰めてもらいたかったのかも知れない。
が、母は「泣くんじゃないよ。」と言った。
その、泣くんじゃないよ。は、浅い言葉ではなく、いいか?よく考えてごらん?という意味だった。よく考えれば泣くことではないし、泣いてどうにかなるわけではないんだよ。そして、
私の娘だったら泣くな。そういう意味だった。
母はよく、「大丈夫。私の子なんだから。」と
私に言った。その言葉は呪文の様に私に力を与えてくれた。あの魔女の子なんだから大丈夫なんだ。と、本気で思えて様々なことを乗り越えてみせることが出来た。今、思えばその母の
言葉たちをどう受け止めたかの私次第だったのだと思えるのだが、当時の自分は本気で母の血を奮え立たせれば打ち克てると思えた。



母は人のこともよくわかっていて
私との距離感も絶妙によくとってくれている。
姉に対しての距離感と私とではかなりの違いがあるのだ。聞いていいこと、話していいことの 線引きも分かってくれていて、ズカズカとテリトリーに入ってこない繊細さには子供の頃から随分救われたと思う。
母はとても器用で編み物が上手だった。
私も見よう見真似で編んでいると、私としては
少し編んでお手本を見せて欲しいのだが、私の編み目が変わってしまい作品が台無しになってしまうからと言って手を出すことを拒むところがあった。植物を育てたり、手芸が好きなところは母とよく似ていて共通の話題が多くあるが姉はあまり得意ではない。けれども姉は姉で母に構われていて、私たち姉妹はそれぞれの愛され方をしているのだと思う。




母のいいところばかりを
書いたが、同じくらい恨みつらみも書けると思う。けれども、母の根底には人を理解する力が備わっていて、自然に人のために動いてくれる
力があって、その「人のため」が
本物すぎるので、
本当の意味での人のためではないことを
求められた時や、してしまった時、母は地獄の鬼の様に機嫌が悪かった。

母は、キレイ好きだ。

心もキレイでいたいのだろう。
母の心を汚す出来事や人は大嫌いで遠ざけたかったのだろう。
そのパワーは、若かりし頃凄まじく
家族は随分と振り回された。
けれどそれと同じ分、ご機嫌な笑い声も沢山聞いたし、キレイなものに囲まれて過ごさせてもらえた。

母がそうしたかっただけなのだろうが
ありがたい環境だったと思う。


何度もいうが、
真逆の出来事や思いもあった。
だから、荒地の魔女などと呼んでいるのだ。




しかし、母というのは
愛したい存在なのだ。


いいところを見つけたくなる存在なのだ。



私たち、父、姉の三国同盟
荒地の魔女に敵わない。

三国が地続きならば荒地は海を渡った向こうの国なのだ。

母のおかげで3人だけの絆というものもあり
凡人ずっこけ三人組は母に笑われている。

どんな前世なのか縁なのか
分からないが、私が私を褒められることがあるとするならば、

母を選んで生まれてきたことだ。




母は母として素晴らしい母であり失格者でもあった。   

母を母にして私は何を学び
何に寄り添いたかったのか
それは分かっていて生まれてきたのだと思うのだ。




母から学ぶものも
母に寄り添わねばならぬことも
中々の受験レベルだと思うのだ。



私はそのハイレベルな受験に合格して
母の娘として生まれてきたのだ。



私、すげえ。




合格して入学したら、卒業までに
受けたかった授業をきちんと履修せねばと
思う。


年齢的に私は卒業が近づいてきていると
思う。

母は100まで生きると言っているので
だとするとまだまだだけど。



いつまでも学んでいないで
卒業論文に取り掛からないとな。
と、思い
母のいいところをとりあげてみた。









母は花を育てるのが好きで



「人は好きな時に水が飲めるけと、花は飲めないからちゃんと水をあげないと可哀想。」




とよく口にする。





母をよく言い表しているセリフだなぁと
思う。







親というのは死をもって教えるものもあるのだろう。子供を持つ親の立場としてもそう思う。




親と言えど、未熟な部分もある。
子供を育てながら成長することもある。
子供も親から学び産み育てて貰った以上
親孝行をし、老いを受け入れ看取る。
大概はそれらすべてを受け入れ学ぶために
子は親を選び生まれてきているのだと私は思っている。

だから、立派な親でもそうでなくても
とにかく親から学ばなければならないのだ。
親のせいにしてはいけないのだ。

どれだけ理不尽な思いをさせる親だとしてもだ。


天国で子供は親を見てどの親にするのか
選ぶのだという。
そして、その親のもとで育ち、何を学び
どう生きるのかといったレポートが通らないと生まれてくることは出来ないのだという。



私は、荒地の魔女を母に選び、学び、生き方を考え、そのレポートが通り、この世に生を受けたのだ。

そう思う時、私はとても母のことを考える。

人生を考える。



私はせっかく選んだ母を宝の持ち腐れにしていないだろうか?



動物対話士さんが、猫たちのことではなく
突然、私を視て

「『人生動かせ』って言ってます。」

と言った。



あぁ、やはり私には
母を選んだ理由の結果をきちんと出していないのだなと改めて感じたし、やらねばな。と
思った。





ここに書いた分、魔女への恨みつらみを書けると言ったが、私は書かないことを選ぶ。



何故なら、私は母の娘だからである。






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