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ちいさなちぃちゃん

ピアノが弾けて猫がいればそれで十分なのです。

ベートーヴェン

幼い頃は、いつでも聴けたし
弾くことに憧れていたベートーヴェン


箸が転がるだけでも笑い
盗んだバイクで走り出すなんて馬鹿なことはせずにぬくぬくまったりと家にいたい
と感じていた多感な15の夜の頃も聴けたし
弾いた。

夢見る少女じゃいられなくなってきた10代後半から20代前半に好みが出てきても
まぁ、聴けたし 弾いた。


いつからだろう、



ドモホルンリンクルのお試しは30代か、
まだまだ先の事だな。

と思っていたら
試す前に私、もう40代じゃないの。


そう、だからまぁ、最近。

最近の私は

ベートーヴェンをどんな時でも聴けるかというと、聴けない。弾けなくなっていた。




やっと、私が成長して、ベートーヴェンの足元にも及ばないがそれなりの人生経験を重ねて来て、ベートーヴェンの曲のパワーに圧倒されてしまったのだと思う。

よほど体調も心も何にも影響を受けない様な
コンディションであるか、受け止められる強さを持っている時以外は聴く気分にならなかった。



彼は、どん底に落ちた。
とんでもなく落ちた。そこから這い上がり
その様を生涯、曲にした。


悲しみと孤独と怒りの大地をひっくり返す
強大なパワーを、受け付けられる経験が
私にないのだと思う。






でも、今年の初夏
悲しい出来事があった。
薄っぺらい表現しか出来ないけれど、
辛く悲しいやり場のない悲しみと怒りを持った。

その時 私はベートーヴェンの曲を抱えていた。

「絶対に弾けない。」

そう思った。


弾くならコレだな。と、思う曲…

綺麗で 優しくて 癒される様な柔らかな曲を
自分のために、弾いてみた。










「おえ。」








きっも!










あれも これも 優しく柔らかく包み込む様な曲が
気持ち悪い。受け付けない。
甘いものはノーサンキューな日に匂ってくる
シュークリーム屋の強烈な卵とバターとカスタードを炊いた温かく濃い匂いが胃にむせてしまう様に。



何故だ?


試しに、今の私には無理だろうと思った
強烈なパワーを帯びているベートーヴェンの曲をドカン!と弾いてみた。




ドカン! ダーン! タカタカタカタカタカ!
ッダーンっ!








「っひょー!気持ちイー!」









激しさと 流れ来る清らかさと
すべての音が悲しみきっている細胞の一つ一つに活力を与えてくれていることが
弾きながら分かった。




分かったところで、手を止めた。







やっぱり、ベートーヴェン
経験を積まなければ感じることは出来ない。

ということが分かった。

でも、ベートーヴェンがいれば
何があっても また 前に歩き出せる。




私は常々、ベートーヴェンを弾きながら
何でベートーヴェンは結婚出来なかったのだろう。中々恋が成就しなかったのだろうと
思っていたのだけれど、
ベートーヴェンのパワーについて行ける女性がいなかったんだろうな。という結論に至っている。