先週。
「先生?バレンタインに手作りのチョコレート作って来てもいいですか?」
小学生の可愛い生徒が聞いてくれました。
「あらぁ、作ってくれるの?嬉しいな♪楽しみにしてるね。」
にっこり嬉しそうに微笑んでくれた生徒が
今週、
「先生…これ…本当は作りたかったんだけど
コロナが怖いから買ったお菓子だけど…」
と、悲しい顔をしながら
手渡してくれました。
「そっか。でもとっても嬉しいよ。
どうもありがとうね😊」
と言って受け取ってあげることが精一杯。
生徒は手作りのお菓子を作りたかったけれど、きっと改めて家族で話し合いになったのでしょう。親御さんから説得されて
買ったものを渡すことになって
この前は作るね♪と言ったのに
やっぱり買ったものになりました。って
言わなくちゃいけない子供の心を考えたら
やるせないじゃないですか…。😢
「コロナだから」で、出来なくなった
諦めなくてはならなくなった思いを、子供達は
沢山していると思います。
おやつの交換こをしながら行く遠足も
修学旅行も合唱コンクールも中止。
なんで?どうして?
「コロナだからよ。」
なんか、戦時中のよう。
戦時中より子供達の楽しみや自由は減っているのかも?と思えてしまいますね。
今まで当たり前に出来ていたことが
出来なくなってしまうということには切なさが募りますが、では代わりに何が出来るだろう?
と、考えていくこともこれからを強く、楽しく生きていくためには必要なことかも知れないですね。
今日、八重ちゃんに新しいかしゃぶんを買いに
ペットサロンへ行き、また動物対話士さんが
いらっしゃる時はいつかを聞いたら、やはり
このコロナの影響で今は行っていないのだそう。(´・ω・`)
八重ちゃんのこと、ちぃちゃんのこと
また、聞いてみたいことがあるんだけどな。
我が家に来たことどう感じてるのか
ずばり核心を聞いてみたくなっちゃいますよね。
どうして1人で道に蹲っていたの?
とか、とか、とか。
ちぃちゃんの時も、最初の時は
動物対話士さんに、我が家に来る前のことを
聞いてみたのですが、ちぃちゃんはその話をすることがイヤなようで、そっぽを向いてしまっていました。対話士さんが、
「昔の話をするのは嫌みたいです。って私が
言うと、『そう。』ってこっちを向くんです。」と、おっしゃっていました。
イヤイヤながらも、伝えてくれたのは
元は土手の様な広い草むらの様なところで
雨台風の頃、母猫に守られながら育っていたこと。2度の出産、育児をしたけれどもう懲り懲りなこと。
その後ある家で暮らしていたけれど、3匹目の猫と折り合いが悪く、家出したこと。
そこまでで、動物対話士さんは
「飼い主さんにもあまりよくされなかったかなぁ…」
「その後の外生活は相当キツかったようです。
猫からも人からも。」
と、言っていました。
それだけ伝えてくれたら充分だよ
ちぃちゃん。
猫も人も何かしらのつらい思い
理不尽な思いや経験を乗り越えて来ているんですよね。
今朝、観ていたテレビの中で
単身フランスへ修行に旅立つ不安な思いでいる娘に、辛いことがあった時は
「みんなはどうやってその時期を乗り越えたのか聞いてごらんなさい。」と母親が言ってくれたことには助けられた。という話を聞いていました。
皆さんはどうやって今までを乗り越えて来ましたか?
私が、みんなを凄いと思うのは
誰もが今までをどうにか乗り越えて
今、生きている
ということです。
みんなも、猫も、私も
生きてるだけで凄いこと。
みんな
それでいいのだ
生きている自分はエラいけど、
生きていられるために隣にあった
「何か」の存在もエラい。
それは人だったり、動物だったり植物だったり
食べ物、音楽、笑い、匂いetc.
生きるために気を紛らわせてくれた誰か、何か
に感謝しよう。
このブログのタイトルにもありますが
私は、生きるための最低限の衣食住があれば
ピアノと猫は人生のご褒美です。
飼い主今年の修行ペン字練習✏️県名
今までこんな書き方してなかったと感じる字が沢山あります。
皆さん、体調に気をつけてよい週末を🍎
最後まで読んでくださりありがとうございます♪